月刊「致知」2022年3月号の特集は「渋沢栄一に学ぶ人間学」。
昨年の大河ドラマ「青天を衝け」がまだ記憶に新しいなか、雑誌前半が渋沢栄一氏についての対談やコラムで埋め尽くされていた(しかも、栄一の子孫や関連本著者、関係団体代表らが名を連ねる圧巻の構成!)
三つの魔
特集扉ページでは、栄一を主人公とする小説『雄気堂々』を書いた城山三郎氏の言葉が紹介されていた。渋沢栄一は3つの「魔」を持つ男だったそうだ。
栄一は三つの魔を持っていた、と城山三郎は言っている。魔という言葉がつくくらいに打ち込んだものが三つある、ということである。一に吸収魔──よく勉強し吸収して止まない人であった。二に建白魔──よく立案、企画、建白する人であった。一橋家においても一橋家のためになる意見を何度も建白し、、慶喜に重用されるようになるのである。三は結合魔──人と人とを結び付けて止まない人であった。人と人とを結び付けてこそ新たな創造は生まれることを、栄一は本能的に知っていたのだろう。
2つ目の建白魔こそが、栄一を日本資本主義の父と呼ばしめる元になった気質なのだろう。思いを持つことは大切だが、妄想だけでは形にならない。人を動かすための企画力、訴求力が必要だということだ。この特質には、爪の垢を煎じて飲みたいほど憧れる。
致知 冒頭の対談記事で、『乃公出でずんば 渋沢栄一伝』を刊行した北 康利さんはやはりこの「3つの魔」の話を挙げ、こんな風に語っている。
作家の城山三郎さんは、渋沢は「吸収魔、建白魔、結合魔」の「三つの魔」を持っていたと言っていますが、改正掛の仕事を見ると、まさにその通りだなと。
(略)
それに、渋沢のもとにはたくさん人が集まってくるんですよ。(略)思いなり信念なりを周りの人々に語り、自分を理解してもらおうとしているし、ユーモアも大好きで周りの人を楽しませようとする。(略)渋沢が人々に慕われ、たくさんの協力者を得ることができた理由だと思います。いわば渋沢は、周囲を巻き込んでいく人、渦の中心になる人だった。
この部分は吸収魔、結合魔の特質が強くでているのではないか。周りのさまざまな人やことから学び、関係があるとみるや巻き込んで新たなことをはじめていく。それが多くの会社や福祉事業を立ち上げる原動力になったにちがいない。
2022/2/19追記
三つの魔については『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』の1月17日ページにも、城山三郎さんの言葉が掲載されていたので転記。
渋沢は三つの魔を持っていた。
吸収魔、建白魔、結合魔です。
学んだもの、見聞したものをどんどん吸収し、身につけてやまない。物事を立案し、企画し、それを建白してやまない。人材を発掘し、人を結びつけてやまない。
普通にやるんじゃない。大いにやるのでもない。とことん徹底して、事が成るまでやめない。そういう「魔」としかいいようのない情熱、狂気。
根本にそれがあるかないかが、創業者たり得るか否かの分水嶺でしょう。
自身は何「魔」か?
ここまで渋沢栄一の「三つの魔」をみてきたが、「あなたは何魔?」と聞かれたら何と答えるだろう。
遅刻魔、電話魔という言葉もあるが、これはやめられない癖や悪習を指すネガティブな意味の言葉だろう*1。
我が身を振り返ってみると、はたして「魔」が付くほどに打ち込んだものがあるだろうか。
そんなことを考えていて、ふと思い出したことがある。
メモ魔になれ!
10年ほど前に新入社員研修を担当していた頃、2ヶ月間の集合研修を終えて現場配属を目前にした新人たちに、研修スタッフが一人ずつ語る時間をもっていた。その当時、僕が伝えていたのは以下の3つの言葉である。
- メモ魔になれ
- 「我以外皆我師也」の気持ちで
- 信頼の貯金をためよう
何年か経って当時の研修受講社員に会うと、何人から「メモ魔の話、覚えてますよ」と言われたことがあり、覚えてくれたことが嬉しかった覚えがある。
なんてことはない。僕自身がメモ魔であり、その恩恵を受けているためその効能を彼ら彼女らにも伝えたかったのだ。
事実、今でも胸ポケットには常にA7サイズのミニ手帳とボールペンを入れ、何かあったら書き留める習慣は変わっていない。
あと2つ挙げるとすれば…
渋沢栄一にならって三つの魔とするために、自分自身のあと2つの「魔」を考えてみたい。
1つはわりとすぐに思いついた。
「発想魔」だ。
アイデア・思いつき・妄想なども含め、あれやこれやと浮かんでは消えていく。頭のなかが常にいそがしい感じで、それを覚えておこうとすると疲れてしまう。そんなわけでメモ魔にもつながっている。
もう1つはあれこれ言葉遊びをして考えた結果、願望も含めてこの言葉にしたい。
「共育魔」である。
いま、勤め先では人材開発部門を所掌するマネージャーの役割を担っており、この仕事への自負もある。
とはいえ、「育成魔」「人開魔」ではただの怖い人だし、人様を育てて止まないというのも不遜な気がする。さりとて「成長魔」では単に自身の学習や知識獲得に燃えている人のようでもありいただけない。
おちついたのは「コミュニティ型アプローチでの人材育成」「学び合いのコミュニティ」を推進するという意味で、「共に育つ」「共に育む」という意味での「共育魔」である。
今後は渋沢栄一にならって、企業内外での学習に関する実践共同体を推進する意味で、この「魔」を目指していきたい。
関連情報
渋沢栄一「三つの魔」は「せずにおられぬこと」と言い換えることもできる。そんなことを過去ブログに書いています。
なお、渋沢栄一氏については、2020年の読書会をきっかけに自伝『雨夜譚』読み、こんなメモを note に書いた。ご興味あればあわせてどうぞ。
*1:そういえば、「キス魔」なんていう言葉もある(笑)