ときどき、「応援」という行為について考える。
応援は、相手にパワーを送るわけだが、実は応援する側もパワーをもらっている。
贔屓のスポーツチームを応援したり、学生時代から追いかけているアーティストを応援したり、家族や友人など近しい人の活動を応援したり、いつか出逢って今は離れている人をひっそり応援する、ということもある。どのシーンも、実は、応援している自分自身が励まされていることに気づく。
エマソンの『自己信頼』から「応援」を考える
宿る力を信じる
応援のベースになるのは、その人に宿る力を信じることだ。
先日読んだラルフ・ウォルドー・エマソンの『自己信頼』には、こんなフレーズがあった。
私たちの中に宿る力は、まったく新しい種類のものであり、それを使って何ができるかを知っているのは本人だけだが、実際にやってみるまでは本人にさえ、それが何かはわからない。
あれこれ口出ししてみても、それができるかどうかは他人には分からない。
けれど、当の本人にだって、やってみないと「何ができるか」は実のところ分からないのだ。
天から授かった、もう半分を表現する
エマソンは、続けてこんな風に語っている。
人間は自分を半分しか表現しておらず、天から授かった神聖なアイディアを恥じている。正しく伝えるなら、そのアイディアは調和を生み、良い結果をもたらすだろう。
やってみて、その結果を受けとめ、湧きあがってくる感情をじっとみつめる。すると、新たな表現や活用のアイディアが見つかるかもしれない。
これを繰り返していくことで、自分の中に宿る力をさらに発揮していけるのだろう。
まとめ
応援は、相手の中に宿る力を信じることから始まる。
ときには、そっと背中を押すこともあるだろう。
そのときに忘れていけないのは、あくまでも主体が相手であるということ。結果に対して、当事者以外が変な期待をしたり、見返りを求めたりするものでは決してないのだ。
エマソンの『自己信頼』、最後のページには次の言葉が書かれている。
あなた自身をおいて、あなたに平和をもたらすものはない
誰かを応援するときには、この言葉をかみしめたい。
そして、応援した誰かが笑顔になったとき、ともに静かに微笑みたい。
関連情報
過去記事より
「自己信頼」に関連するテーマ、過去にも書いていたので貼っておきます。
「自己信頼」に学ぶ読書会
本書を読むきっかけは、こちらの読書会でした。