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「表紙をめくるその前に……」本好きにおくる思索・著述・読書の教え 〜『読書について 他二篇』

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「いたたた…。なんだ、この本?」

本好きにとってグサっと刺さる言葉が、ページをめくるたびに登場する。

  • 読書は、他人にものを考えてもらうことである
  • 良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。
  • 多くのばあい、我々は書物の購入と、その内容の獲得とを混同している

著者ショウペンハウエル氏は、「あらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟読すべき」と説く。

いやぁ、まったくそのとおりなんだけど……、積読本があふれかえった自室をみると、顔を覆いたくなる。


19世紀に書かれた『読書について』。
既読の方も多いだろうが、僕の読書体験とそこから得た学びを記録しておきたい。

ショウペンハウエル著『読書について 他二篇』

どんな本なのか?

本書は、「思索」「著作と文体」「読書について」という3つの短篇で構成されたもの。表題作「読書について」にいたっては、岩波文庫版ではわずか21ページの短さ。(「思索」もほぼ同じ。「著作と文体」が 100ページ余り)


手厳しい言葉がたくさん登場する本書は、思索・著述・読書に関しての「究極のべからず集」といえそうだ。それぞれの章には、こんなフレーズが登場する。

「思索」より
  • 自ら思索する者は自説をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てるにすぎない。
  • 読書と同じように単なる経験もあまり思索の補いにはなりえない。単なる経験と思索の関係は、食べることと消化し同化することの関係に等しい。
  • 世界がもし、真に考える生物にみちあふれていたならば、あらゆる種類の騒音が無制限に放任されているとはどうしても考えられないであろう。
「著作と文体」より
  • 執筆すべきテーマの素材を自分の頭脳から取り出すものだけが、読むに値する著作家である。
  • 匿名批評というものには、発信人の署名のない手紙と同じ程度の値打ちしかない
  • 著者たる者は、読者の時間と努力と忍耐力を浪費させてはいけない
「読書について」より
  • 読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。
  • 「努めて古人を読むべし。真に古人の名に値する古人を読むべし。今人の古人を語る言葉、さらに意味なし。」(A・W・シュレーゲルの言葉)


本のタイトルは『読書について 他二篇』となっているが、通読してみると、この3作品で語られているのは「意義ある思索を!」「思索のための読書を!」という訴えだと感じる。

『読書について』を題材に思索する

きっかけは読書会

記録によると、僕がこの本を買ったのは2008年3月のこと。購入した当時パラパラ目を通したあと、本棚にしまいこみ、いわゆる積読本になっていたようだ。*1

そんな状態だった本をあらためて読んだのは、毎月参加している 読書会 の課題図書になったのがきっかけ。9年がかりでようやく通読できた(ありがたい!)。


読書会では、本書を事前に読んだメンバがあつまり、3~4人のグループに分かれてディスカッションを行った。

それぞれが心に響いた箇所を披露したあと、みなでこのお題にとりくんだ。

人間塾版「読書について」を作りましょう。
自分の読書や思索の成功・失敗体験を振り返って、みんなの役に立つ箴言を作ってください


箴言を作れ! というお題はハードルが高そうだが、やってみるとこれがなかなか面白かった。

思索から導き出したキーワード

「これまでの読書&思索の成功体験は?」とふりかえるなか、蘇ってきたのは今から約15年前の日々。

ある社内プロジェクトに熱中・集中していた頃で、何を読んでも誰と話しても、全てのことがプロジェクト実践につながっていくという貴重な経験をした。まさに「我以外皆我師也」。何からでもヒントを得られていたように思う。


当時の経験を思い返しつつ、「箴言、箴言…」と考えているうちに1つのキーワードが浮かんできた。

それが「野望」である。


本を読む前に「目的」を明確にせよ、とはよく言われる話。
でも、ここでいう「野望」は、それよりも原始的な欲求で、もっと深いところにあるイメージ。

ショウペンハウエル氏は、思想家の「思索」を「パイプオルガンの基礎低音」に喩えて説明している。

その際、思想家自らの思索はパイプオルガンの基礎低音のように、すべての音の間をぬってたえず響きわたり、決して他の音によって打ち消されない

何度か読むうちにこの箇所が気になっており、頭に描いたイメージから「野望」というキーワードへとつながったようだ。

「野望へ問いかけろ!」

で、最終的にできあがったのは、こんな箴言。

表紙をめくるその前に、
自分の野望へ問いかけろ!


安易な読書に走る前に、自分の深いところにある源泉をみつめ、湧き出てくる野望に問いかけてみる。
読書するのはそれから。

それが、今回『読書について』から得た、一番大切な教えである。

まとめ

9年越しの読書、そして読書会でのディスカッションを通じて、1つのフレーズを形にすることができた。「表紙をめくるその前に、自分の野望へ問いかけろ!」という言葉、今後大切にしていきたい。

「野望」読書

あらためて、自分にとっての「野望」とは何かと考えると、個人ミッション「つながりの芽を育てる」にたどりつく。

知り合っていない誰かと誰か。似たような想いを抱いて活動しているのに、お互いにまだ気づいていない「つながりの芽」。

そんな芽を見つけだし、タイミングを見計らって出逢うきっかけをつくる。

その結果、新しい何かが生まれれば、こんなに幸せなことはない。


かっこつけるわけではなく、僕にとってはそれが自らの喜びなのだ(自利利他?)


今後は、自分の「野望」に問いかけつつ、本を読んでいきたい。
「野望」読書を、習慣化しよう。


人は、問われれば答えを見いだす生き物だから…。




(おまけ)本エントリを投稿する3時間前の心境はこんなでした。

関連情報

参加した読書会は、 一般社団法人 人間塾。東洋哲学から西洋心理学まで古典を中心に、月に1回 集まっています。東京のほか、名古屋、関西でも開催中。

人間塾 読書会について説明した過去記事はこちらです。

*1:そうです、「書物の購入」と「内容の獲得」を混同している悪い事例です(苦笑)