朝日新聞 be on Saturday の「悩みのるつぼ」。
読者からのお悩み相談に、レギュラー回答者が週替わりの当番制で答えるコーナーだ*1。
9月29日の紙面では、50代女性からの「人から相談を持ちかけられるような、ささやかな人徳が欲しい」という悩み(?)が寄せられていた。
このお悩みに対する美輪明宏さんの回答に出てきたのが記事タイトルの言葉。
相談やうわさ話を持ちかけられないということは、逆にありがたいことで、清々していいじゃありませんか。陰口をきいたりゴシップが好きだったりする人間は実に卑しい人間です。
(略)
あなたはそうなりたいのですか? 鶏群の一鶴でいいじゃありませんか。
美輪さんは、周囲との関係にとらわれすぎるのではなく「けっきょく人間はひとりにかえっていくもの」という基本的な立ち位置を説いていく。この回答は相談者には不満かもしれないが、読者である僕にはとても納得度が高かった。
ちなみに、「鶏群の一鶴」を検索していて「陽碍山」というサイトを見つけた。「中国故事物語」(河出書房新社発行)に記載されている言葉を出版社にも許可を得ながら丹念に引用・転載されている。
鶏群の一鶴のページに記述されていたエピソードが、イメージのわくものだったので以下に転載させていただく。
紹がはじめて洛陽に入ったばかりの頃、ある人が七賢の一人王戎に、
「昨日、
人ごみの中ではじめてケイ紹を見たんですが、
意気高らかにさっそうとしていて、
独立不羈の野の鶴が鶏の群におり立ったみたいですね。」
(昂々然として、野鶴の鶏群に在るが如し。)
というと、王戎は、
「君はそもそもあれのおやじを見たことがないだけのことさ。」
と言ったのである。ここから、「鶏群の一鶴」という言葉が出た。
「自分が、自分が…」と前に出るのではなく、普段のたたずまいのなかで一羽の鶴のようにすっと目に入ってくる存在。いつか自分もそんな人物になれたらな、と思う。
「悩みのるつぼ」関連エントリ
- 幸せとは「乗り越えるのが楽しい不幸」(2009-11-23)
*1:今回の記事とは違うが、僕は岡田斗司夫さんの回答がとても好き。いつも相談者が真に必要としている(と思える)部分にズバッと刺さる回答なので。→相談者の悩み投稿にどう向き合って、回答をつくっていくのか。そのプロセスを岡田さんが解説した本が出版されました。> オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)