すこし前、西村創一朗さんの記事 “性善説でも性悪説でもない「性弱説」のススメ。” を読んだ。
あまたある人間観のなかで、性善説でも性悪説でもない「性弱説」はそのネーミングとともにしっくりきた。(僕も性悪説は相容れないタイプ…)
性弱説とは?
性弱説について、西村さんは性悪説と性善説と対比してこんなふうに書いている。
「性悪説」をベースにした組織は非常に「関係性の質」が低くなる傾向にあります。
「関係性の質」が低いと、思考の質が下がり、行動の質が下がります。
その結果、成果も出しにくい組織になってしまうのです。
一方、性善説には決定的な弱点があります。「人間は本来的に弱い生き物で、サボりたがるものなのだ」という事実に無頓着である点です。
そう、この「善い悪いではなく、人間は弱い生き物なのだ」という人間観こそが「性弱説」なのです
この人間観にもとづいて「人間がサボりたいのは当たり前だよね」という前提にたち、【「能動的」にサボれる仕組み】を取り入れていこう、というのが西村さんの主張。
自分をふりかえっても、すごく納得できる。
人は○○の生き物だから…
…ということを書きながら、ふと別の考えが頭に浮かんできた。
本ブログタイトルの由来でもある「人は感情の生き物だ」という言葉。
これは、2種類の解釈ができる。
- 人は、感情に流されていくのが当然だ
- だからこそ、感情に働きかけていこう
ブログ運営方針としては、前者の「諦め」気分で終わらせず、後者の「だからこうしよう」を強く打ち出して話題をとりあげている(つもり)。
性弱説の考え方にも、同じテイストを感じた。
「善い悪いではなく、人間は弱い生き物なのだ」を前提とした仕組みづくり、と同様、「感情に働きかけるため、人生をハッピーにしてくれるヒト・モノ・コトバの紹介」をより強めていきたい。
そんなことを考えた。
関連情報
検索してみつけた記事。仮説「性弱説」として論を展開しておられる。
関連本
孟子の教えを金谷治さんが解説した本。性善説についてはこんな言葉がある。
王道の根幹である「忍びざるの心」こそすなわち仁心である。孟子は、それがだれの心にも生まれつきに備わっているということを強調した。いわゆる性善説である。
関連エントリ
仕組みをつくるべし、という観点で、小山昇さんの経営哲学を紹介したエントリ。
感情に働きかけよう、という観点で、山下達郎さんの言葉を紹介したエントリ。