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弱いものには大事な戦略的効用があって、強いものと共に強い組織を形成します

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久々にメルマガを読んでいて感じいった文章があったので、コピペさせてもらいます。


オリジナルは、宋 文洲さんのメルマガ59号「美しい弱さ」。
http://www.softbrain.co.jp/mailmaga/back59.html

1. 論長論短(No.26)美しい弱さ / 宋 文洲

「弱いね」と言われて喜ぶ人はいません。謙遜で自分のことを「弱い」という
場合はありますが、まじめに「あなたは弱い」と言われるとやはり不愉快なも
のです。

動物の世界も同じです。相手に自分を強く見せるために体を大きく見せたり大
声を出したりして強さをアピールするのです。

強いものが戦わなくても相手を負かすことがあるので、生物は種の保存本能で
強さを求めてやみません。また「弱肉強食」の言葉が象徴するように、実際に
戦うと強いものは確かに勝つのです。

しかし、強いことは案外戦術であり、戦略的ではないのです。

「かよわい女性」と言いますが、その弱い彼女達を守っているつもりの男性が
本当に強いのでしょうか。同じ育て方でも男の赤ちゃんの死亡率が高いことは
周知の通りです。異なる文化圏に飛び込んだ時、挫折しやすいのは男性の方です。

失恋したら女性は弱々しく泣きますが、その立ち直りは男性よりずっと早いの
です。「もともと女性が強い」とおっしゃる男の方々も多いでしょうが、そん
な方々に限っていざとなると「俺も男だから・・・」と頑張ってしまいます。

実に人類は弱い生物です。我々は脳を除けばあらゆる機能が弱いのです。我々
の先祖が恐竜に滅ぼされなかったのはただの好運に過ぎないと思われるほどで
す。人類は弱いからこそ生き残った側面があります。

「弱い人」は得することが多いのです。強がる男よりも女性に弱みを吐ける男
の方がもてるので。強い部下よりも弱い部下の方がリーダーの保護をもらえる
のです。弱いペットが強いペットよりずっと繁殖するのです。

強さを美とする人達にしてみればとてもプライド上許せない議論です。「紐男
になりたくない」、「上司に媚を売る部下は卑しい」、「俺はペットよりも飼
い主になりたい」と。

しかし、堅固な材料だけで作られた建物は弱いのです。弱いつなぎと遊びがな
いと地震に耐えられません。強い個人だけでできた組織は強くないのです。意
外と弱い個人も存在する組織の方が全体としてより強い組織です。弱者を作ら
ない社会はあり得ません。弱者は強者と同様、自然界の摂理です。

我々が時々間違いやすいのは弱者が敗者であり、存在価値が低いという偏見で
あり、コンプレックスです。これが理不尽な弱者いじめの問題を起こし、不幸
な強者を量産してしまいます。

弱いものには大事な戦略的効用があって、強いものと共に強い組織を形成しま
す。強弱は時間と空間に依存し、入れ替わるものです。生き残って進化したも
のは強いものではなく、弱いものでもなく、環境に適用したものです。

弱には弱の美しさもあります。弱は、誰にも迷惑をかけません。弱は、助けて
くれる人の心を救います。弱は、絶望した中途半端な強者に生きる勇気を与えます。

それでも弱さを許せないでしょうか。

この文章を書くきっかけは、日経ビジネスオンライン上で宋さんが書いた「いじめ自殺」についてのコラム。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061031/112784/

ここへの反響をみて、書こうと思ったのだとか。

僕も親です。いじめで子供たちが自殺するニュースを聞いて胸が詰まります。虹色で彩られているはずの世界が真っ暗になり、誰にも頼れないと悟る少女。幼い首に紐をかける彼女の顔は、まだ無邪気さが残っていたはずです。こんな理不尽なことは許されていいはずがないと思います。

無性に怒りを覚えました。僕の怒りは、言い逃れをする先生でも、いじめに参加したとされる子供たちに対してでもありません。自殺してしまった子供に逃げ道を教えない、すべての大人たちに対してです。この環境を変えない限り、悲劇はまだ続くと思うのです。

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