人間塾にて『論語物語』を学んだ。
- 作者:下村 湖人
- 発売日: 1981/04/08
- メディア: 文庫
今回読んで一番気になったのは、「自らを限る者」という物語の中での冉求と孔子の対話だ。
まわりの門人と比較して、自らの浅さを認識した冉求。
孔子に救いをもとめるべく、こんな言葉を吐き出した。
「でも先生、私には、真実の道をつかむだけの素質がないのです。本来、だめにできている男なのです。私は卑怯者です。偽り者です。そして……」(p.61-62)
この冉求の発言に対し、「お黙りなさい」と一喝した孔子の台詞が続く。
「お前は、自分で自分の欠点を並べ立てて、自分の気休めにするつもりなのか。そんなことをする隙があったら、なぜもっと苦しんでみないのじゃ。お前は、本来自分にその力がないということを弁解がましくいっているが、ほんとうに力があるかないかは、努力してみた上でなければわかるものではない。力のない者は中途で斃(たお)れる。斃れてはじめて力の足りなかったことが証明されるのじゃ。斃れもしないうちから、自分の力の足りないことを予定するのは、天に対する冒涜じゃ。なにが悪だといっても、まだ試してもみない自分の力を否定するほどの悪はない。それは生命そのものの否定を意味するからじゃ。」(p.62)
「なぜもっと苦しんでみないのじゃ」という言葉が胸に迫る。
人に対して安易に「俺はダメな奴だ…」と口にするのは、苦しみから逃れようとすることなんだろう。
孔子の言葉はつづく。
「それというのも、お前の求道心が、まだほんとうには燃え上がっていないからじゃ。ほんとうに求道心が燃えておれば、自他におもねる心を焼き尽くして、素朴な心に返ることができる。素朴な心こそは、人に近づく最善の道なのだ。元来、仁というものは、そんなに遠方にあるものではない。遠方にあると思うのは、心に無用の飾りをつけて、それに隔てられているからじゃ。つまり、求める心が、まだ真剣でないから、というよりしかたがない。どうじゃ、そうは思わないのか」(p.63)
入社数年目の頃、上司からもらった「寒いのは燃えていないからだ」という言葉を思い出した。
おもねる心を焼き尽くせ。
- 作者:下村 湖人
- 発売日: 1981/04/08
- メディア: 文庫