ヒト感!!

人生をハッピーにするヒト・モノ・コトバ、広めたい

2014年振り返り:「言葉のごちそう」ベスト3

あっという間に大晦日。
年末恒例行事となった「1年間にいただいた素敵な言葉を振り返るエントリ」も7回目。
今回も、特に深く心にささった3つの言葉を記録しておこう。

一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に

4月27日のエントリで紹介した、森信三さんの名言。
「人の出逢いの必然」について語られた味わい深いもの。

人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬早すぎず、
一瞬遅すぎない時に──。


この言葉が投げかけられた場の雰囲気、その後の化学反応的な大変化を実際にみてきたので、「逢うべき人」に「逢うべき時」に出逢うことの底知れぬ力を感じさせてもらった一年だった。あらためて感謝!


なお、この言葉が収められている本は『森信三 一日一語』(寺田一清 著)。

利他主義の複利

直近 11月22日のエントリで紹介した、ビズ・ストーン氏の言葉。

番組に迎えたゲストにギフトカードを贈る形でスティーブン・コルベアが行った小さな善意は、こうして加速度的に広がった。僕はこれを利他主義の複利とよんでいる

利他主義を見える形で行動すると「偽善?」という言葉がついてまわるけれど、「偽善も死ぬまで続ければ本物になる」「出逢ってしまったご縁を大切に応援する」という2つの原則を胸に、今後も続けていきたい。

このエントリを書く際に、8年前に書いた「僕が一番欲しかったもの」を思い出し、僕はこの世界観が好きなんだなぁと改めて感じることもできた*1


※出典はこちらの著書。

1年を何ではかる?

3月12日のエントリで紹介した "Seasons of Love" という曲の歌詞に登場するのが次のフレーズ。

How do you measure, measure a year?


1年を「分」で表すと、"Five hundred twenty-five thousand Six hundred minutes"(525,600分)になる。
時間は誰にも平等に与えられるけれど、その1年を何ではかるかはその人次第。当時の自分は、こんなふうに書いている。

1年が何分かをあらためて感じて時の大切さを知ることはもちろん、人生を何ではかるかをじっくりと考えてみるのも価値のあること。


仕事の成果、出逢った人、書いたブログ、読んだ本…
いろんなもので、この2014年をはかることができる。


つい先日の人間塾読書会で語りあった『それでも人生にイエスと言う』には、巻末の解説に次のようなフレーズが登場した。

自己超越によって実現される創造価値においては、もはや仕事の「活動半径の大きさ」は問題ではなく、「人間がその使命圏をどれほどみたしているかということが重要なのである」。なぜなら、その使命圏において各人は「かけがえなく代理不可能」であり、「各人の人生が与えた仕事は、その人だけが果たすべきものであり、その人だけに求められている」からである。(p.191:解説)

活動半径の大きさではなく、自身が使命圏をどれほど占有しているのか。
2015年はこの基準を意識していきたい。


おわりに

今年もまた多くの「言葉のごちそう」をいただくことができました。ありがとうございます。
ごちそうを僕に届けてくれた方々、出来事、本、歌……、すべての「師」に心から感謝いたします。


もうすぐ素晴らしい2015年が始まりますね。
みなさん、よいお年を!

*1:槇原敬之さんの同名の曲は、僕が人生最後に聴きたい1曲です

「利他主義の複利」で心豊かになる!+3つのおすすめアクション

「利他主義の複利」という言葉、ご存知だろうか?


分かるようでわからない、パッと聞くと「何???」と頭にハテナが浮かぶこの言葉。前エントリで紹介した本『ツイッターで学んだいちばん大切なこと』に登場する、素敵な考え方だ。

ビズ・ストーン氏から学ぶ「利他主義の複利」

同書の著者 ビズ・ストーン氏は、twitter の共同創業者。
2006年 オデオ社のハッカソンで、ジャック・ドーシー氏とのペアで生みだした twitter。ブレイク後の 2009年に、ストーン氏は「コルベア・レポー」というテレビ番組に出演する*1。このとき、司会のコルベア氏から出演者に贈られたもののなかに、ある素敵なものが入っていた。

収録後、僕とリヴィアは番組からプレゼントをもらった。おそらくテレビ番組に出るともらえる、よくある記念品の類なのだろう。番組名の入った帽子とTシャツ、水がかごに入っている。だがもうひとつ、僕に大きな影響を与えたものがあった。ドナーズ・チューズという非営利組織の、25ドル分のギフトカードだった。(p.247-248)


ドナーズ・チューズ(donorschoose.org)は、「公立学校のためのユニークな慈善団体」で、「全米各地の公立学校の教師が、授業で使う教材や備品など必要な物をサイト上で知らせ」、「その中から関心のあるプロジェクトや、近所の学校、あるいはすばらしい授業をやっている先生やとくに困っている先生を自分で選んで寄付をする」ためのサイトだ。


コルベア氏は、自らこの活動を応援するとともに、番組ゲストにもこのサイトで使えるギフトカードを贈っていた。受け取ったストーン氏は、小学校2年生を担当する先生からのリクエスト(=『シャーロットのおくりもの』がクラスの人数分必要!)に応えて、寄付をした。力になれたことそのものが嬉しかったし、その後 本を受け取った子どもたちからのお礼のカードが届いたのが何よりも嬉しかった、と書いている。


で、この喜びは、寄付した人とされた人だけにとどまらず、広がっていくのだとストーン氏は言う。

ドナーズ・チューズを通して、利他的な行ないが力強い連鎖を生むと知ったのだが、ほかにも、おそらくさらに大きな気づきがあった。(略)その寄付は世界を変えたわけではないけれど、何人かの先生がしたい授業をするのには役立った。(略)こう考えていくと、スティーブン・コルベアが影響を与えたのは僕だけではない。彼の贈ったものは教師に届き、子どもたちにも届き、さらには子どもたちが得た有意義な経験や知的な成長にふれるすべての人に届くことになる。(p.250)


「利他主義の複利」とは、この加速度的な広がりのこと。

番組に迎えたゲストにギフトカードを贈る形でスティーブン・コルベアが行った小さな善意は、こうして加速度的に広がった。僕はこれを利他主義の複利とよんでいる。(p.251)


僕が twitter や facebook などのソーシャルメディアを気に入っている理由の1つは、この「利他主義の複利」を生み出す拡散力があるからだ。信頼できる(=フォローしている or 友人として繋がっている)人の発言や紹介であれば、活動している人そのものを知らなくてもそこに何らかの想いを積み重ねていくことができるし、その活動に対して自分がとったアクションをまた友人たちに自然に伝えることができる*2


身近な人に対しても、また、遠く離れたまだ見ぬ人に対しても、自分のアクションによって何らかのよい影響が伝搬できれば、とても心豊かに気持ちよく生きられるはずだ。ソーシャルメディア隆盛のこの時代だからこそ、「利他主義の複利」という考え方が、もっと広がればいいなと思う。

3つのおすすめアクション

実際に行動してみると「利他主義の複利」の効果が実感できるので、以下に僕自身がやってみておすすめのアクション3つをご紹介…。

1.プロジェクトや活動を応援!

このブログのサイドバーには「応援しています!」コーナーをつくっていて、友人・知人の興味深い活動、自分が使って心落ち着いたり笑顔になれるグッズやサービスへのリンクを張っている。2014年11月現在、紹介しているのは以下のリンクだ。

折に触れて、ブログや Facebook、twitter でも紹介しているのだけれど、その結果だれかが気に入ってくれたり、購入してくれたり、さらに誰かに紹介してくれるのがとても嬉しい。この夏には、上のリストにもある友人・梶原くんち(梶原農園)のフルーツを多くの方が買ってくれたことは記憶に新しい。僕自身がとても心豊かな気持ちになれました。あらためて感謝です!

2.本を贈る

贈り物が自然にできる人って素敵だなと思う。
僕はどうにも構えちゃってぎこちなくなっちゃうのだけれど、そんななかでも本はわりと自然に渡せるプレゼントだ。


さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かすトム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈2〉セクシープロジェクトで差をつけろ!仕事の思想 なぜ我々は働くのか (PHP文庫)心に響く小さな5つの物語 (小さな人生論シリーズ)LOVE&FREE―世界の路上に落ちていた言葉
(いままで贈って喜ばれた本たち)


相手のおかれた状況を思い描きつつ、「こんなことで悩んでいるんじゃないか」とか「こんな風に背中を押してほしいんじゃないか」を考えながら、あるいは「彼(彼女)なら、この本のなかの何かがヒントになるんじゃないか」と想像しながら本を贈るのは、とても楽しいし、ワクワクする。時間はかかるけど、それだけ価値のある行為だと思う。

3.気になるプロジェクトへの寄付・出資・活動支援ボランティア

ストーン氏が紹介していたドナーズ・チューズにも似ているが、最近は日本でもクラウドファンディングのプロジェクトを目にすることが増えてきた。僕がよく目にしているサイトは「READYFOR?」。友人を経由したご縁が重なって、これまでいくつかのREADYFOR上のプロジェクトを応援してきた。それは、「カンボジアに学校を建てよう」とか「気仙沼の椿でハンドクリームを商品化しよう」という、今までの自分では決して触れることのなかった世界で頑張っている人たちの応援だった。
https://readyfor.jp/


また、「ハタチ基金」も継続的に応援しているプロジェクトの1つ。
「東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが、無事にハタチを迎えるその日まで。」のコンセプトに共感して、個人サポート会員になっている。2年前の同期会で集まったみなでも支援できたのは、とてもよい思い出にもなった(関連エントリ)。
http://www.hatachikikin.com/


この他、ボランティアとして支援させてもらった活動もある。今日から第二弾が公開される映画「うまれる」シリーズ。
その第一弾ではドキュメンタリー映像から発言を文字起こしするトランスクリプトという工程をお手伝いした。(関連エントリ
自分が担当したシーンが映画のなかで使われていたのを観て、なんとも嬉しく誇らしい気分になったものだ。
http://www.umareru.jp/


もっと身近な例としては、ホームレスのかたが路上で販売している雑誌「BIG ISSUE」を購入し、販売員さんと会話したりもしている*3

まとめ

もちろん、僕個人が世の中のすべての活動を応援することはできない(財力的にも時間的にも…)。

それでも、自分の問題意識や願いに関わるプロジェクトを目に(耳に)したときに、その活動で助かる人や中核にいる人への応援の気持ちを、何らかの行動で示したいなと思う。


そこでかかったお金や時間は、それを求めている誰かに届き、さらにはこの世の中をほんの少しでもよくすることにつながるはずだから…。
「利他主義の複利」とは、これらのことを端的に表しており、僕にとっての新たな「言葉のごちそう」になった。

関連しそうな本

『評価と贈与の経済学』(内田樹、岡田斗司夫 著)


「贈与経済」という言葉で、利他の行動が循環する社会について語られている。

『GIVE&TAKE』(アダム・グラント著)

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本)

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本)


ずっと気になりつつ未読だった本。監訳者・楠木建さんのまえがきを読むと、こんな記述に出逢う。

ギバーは「ギブ&ギブン」だ。見返りなど関係なしに、まず先に人に与える。その結果、はからずも「どこからかお返しをもらえる」というわけだ。

成功するギバーは、「自己犠牲」ではなく、「他者志向性」を持っている。


本エントリを機に、読んでみたい。

*1:当時の動画はこちらから http://thecolbertreport.cc.com/videos/4qhn4o/biz-stone

*2:もちろん、ツールの使い方によっては悪意や憎悪も広がっていくので、情報自体の見極めやリアクション方法の選択は必要なのだけれど…。

*3:1冊350円のうち、180円が販売員さんの収入になる。

『ネットコミュニティ戦略』が引き寄せた、3冊のコミュニティ本が気になる

いや、まさに、タイトルどおり。
気になる、気になる…。

(上の1冊に、下の3冊が引き寄せられてきた)

引き寄せの元本

『ネットコミュニティ戦略』

こちらが、今回の引き寄せのきっかけとなった一冊で、2001年発刊。

ネットコミュニティ戦略―ビジネスに直結した「場」をつくる

ネットコミュニティ戦略―ビジネスに直結した「場」をつくる


インターネット初期のウェブ・コミュニティに数多く携わってきたエイミー・ジョー・キム氏が、成功するコミュニティのつくり方や育て方を解説した一冊。ソーシャルメディア時代になっても通用するノウハウにあふれた古典的名著である*1


ちなみに、2014年10月の1ヶ月をかけて、Facebookグループ「コミュニティマネージャーズ・コミュニティ(CMC)」内のイベントで、この本を課題図書としたオンライン読書会を実施中である。ご興味のある方は、CMCへご参加を!(なお、入会の際は入会フォームへもあわせてご登録を!

引き寄せられた3冊のコミュニティ本

『これまでのビジネスのやり方は終わりだ』

これまでのビジネスのやり方は終わりだ―あなたの会社を絶滅恐竜にしない95の法則

これまでのビジネスのやり方は終わりだ―あなたの会社を絶滅恐竜にしない95の法則

  • 作者: リックレバイン,ドクサールズ,クリストファーロック,デビッドワインバーガー,Rick Levine,Doc Searls,Christopher Locke,David Weinberger,倉骨彰
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 8回
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こちらも 2001年発刊。"THE CLUETRAIN MANIFESTO"(クルートレイン宣言)としてネット上で話題になった文書を書籍化したもの。*2


「市場の本質は、会話であり対話である」と訴えるこの宣言には、95のテーゼが設定されている。

1.市場とは対話の積み重ねである。
2.市場を構成しているのは、顧客層の統計的区分ではなく、人間だ
3.人間同士の会話には、人間的な響きがある。人は自分の肉声で会話を交わす
 (略)

目につくキーワードは、「市場」「人間」「対話」「会話」「肉声」だ。

『Webコミュニティでいちばん大切なこと』

Webコミュニティでいちばん大切なこと。 CGMビジネス“成功請負人”たちの考え方

Webコミュニティでいちばん大切なこと。 CGMビジネス“成功請負人”たちの考え方

  • 作者: 水波桂,平尾丈,片岡俊行,斉藤徹,古川健介,伊藤将雄,大迫正治,原田和英
  • 出版社/メーカー: インプレス
  • 発売日: 2007/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 5人 クリック: 204回
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こちらは 2008年発刊。
ビジネスツールとしてのWebコミュニティづくりについて、国内のそうそうたるメンバが筆をとったもの。


「はじめに」には次の言葉がある。

Webコミュニティの根底にあるものは、あくまでも人と人のコミュニケーションである。人間の命題ともいえるコミュニケーションをどう味付けし、おもしろくするか。それがWebコミュニティの肝なのだ。

やっぱり「人」だし、「コミュニケーション」なのだ。

『ツイッターで学んだいちばん大切なこと』

そしてこちらは 2014年、つい最近でたばかりの一冊。

ツイッターで学んだいちばん大切なこと――共同創業者の「つぶやき」

ツイッターで学んだいちばん大切なこと――共同創業者の「つぶやき」


著者は、twitter の共同創業者である ビズ・ストーン氏だ。
ツイッターが爆発的なサービスになった理由が語られているようだ。


パラパラ読んだなかで心にひっかかってきたのは、「人」へのこだわりが書かれた次のような箇所。

ソーシャルメディアとは技術の話だけでなく、それを使う人についても考えなくてはいけないのだとわかっている人物を必要としていた。そして僕がそれに適任だと考えたのだ。(p.12)

人は、ふさわしいツールを手にすると、じつに驚くようなことを成し遂げられる。自分たちの人生を変えられる。世界を変えられる。(p.16)

僕の役割として思い描いていたのは、ブロガーに人間性を加えることだった。ブロガーの顔である公式ブログに「ブロガー豆知識」の項目を立ててヘルプコーナーを作り、サービスの特徴をまとめる。ブロガーに声とブランドを与えようと思っていた。(p.23-24)

つながりあった社会の本当の意味での希望は、人と人が助けあうことにある。
人は基本的に善だ。僕らがつながるのは、互いに人の力になるためだ。協力しあうためだ。それ以上いい理由があるだろうか?(p.309)

(とりあえず現時点での)まとめ

というわけで、『ネットコミュニティ戦略』を読むことで引き寄せられてきた3冊、それぞれ「人」に対する着眼で共通点がありそうだ。今後、楽しみながら読みすすめていこう。

で、コミュニティに関する気付きがあればまた投稿したい。

*1:巻末の解説を書いているのは、当時マッキンゼー・アンド・カンパニー・ジャパンに所属していた勝間和代さん!

*2:原著の全文は、こちらで公開されています → http://www.cluetrain.com/book/

全生庵で坐禅体験 〜「いま」を味わい尽くす〜

以前から気になりつつも未体験だった坐禅。

先日『坐禅のすすめ』を読んでますます熱が高まり、著者・平井正修さんが住職をつとめておられる臨済宗・全生庵の「初心者坐禅会」に参加してきた*1




 


今回の「初心者坐禅会」には、40人弱の人が参加していた。僕のように一人で来ている人も多かったが、家族やカップル、友人グループで現れる人もいて、比率にすると半々くらいか。くつ下を脱ぎ、荷物を棚におき、貴重品だけをもってお堂に入る。みな、これから始まる体験に緊張している様子。早く着いた人から、座蒲が置いてある場所に座っていくのだが、せっかくなので空いていた最前列に座らせてもらった。


「初心者坐禅会」では、毎週開催されている「日曜坐禅会」とほぼ同じメニューを行うそうだ。
会の進め方を簡単に説明していただいた後、摩訶般若波羅蜜多心経など3つのお経を読経する。その後、坐り方や警策(けいさく)*2の受け方などの解説(通常はこの時間で住職講話が入る)、それから坐禅2回、読経、三拝、茶礼…とつづく。解説までは若い僧侶のかたにしていただき、平井住職は坐禅から登場された。


実際に坐禅を体験して感じたことを3つ記録しておこう。

坐禅を体験して感じたこと

声を出すことの気持ちよさ

坐禅前に3つ、坐禅後に2つのお経を唱えた。*3

当日お借りした資料に読みがな入りでお経が記載されており、木魚に合わせた規則正しいテンポで1字ずつ読み上げることもあって、初心者の僕にもすんなりと入っていけた。


こんなに連続して大きな声を出しつづけることは日常では少なくなっているため、読経している途中からだんだん気持ちよくなってきた。みなで同じ言葉を発している一体感、耳に入ってくるそれぞれの声や息づかい、お堂の空間にこだまする響き…。読経の終盤では、みなより少し低めに声を発して音の幅をつくったり、ちょっとしたハモリを楽しんだりする余裕も生れていた。


お経それぞれの意味を理解すればさらに素晴らしい時間になるのだろうけど、僕にとっては純粋に大きな声を出しつづけることが気持ちよい体験だった。

数息観で「いま」を味わう

坐禅の最中は、鼻から息をゆっくりゆっくりと吐いていく。その際に、「ひとーつーーーー」「ふたーーつーーーーー」と頭の中で唱えながら、ほそくながく息を吐き続けていく。数が10まできたらまた1に戻って、坐禅をしている間これをずっと繰返していくのだ。この呼吸法を、数息観(すそくかん)という。


坐禅中の心構えとして、過去におきたことを思い出してクヨクヨ悩まない、未来に起きるかもしれないことをあれこれと心配しない、「いま」「このとき」を感じることが大切だ、との解説を受けた。とはいっても、「考えないようにしよう!」と考えても、しないことを実践するのは難しい。そこで、この数息観によって、数を数え、息を細く長く吐くことに集中し、余計な考えが去来するのを防ぐのである。


実際、今回の坐禅中にも色んな想いが頭をよぎったが、息継ぎをし、次の数を念じ始めるときには数息観に集中するため、浮かんだ想いから離れることができた。この「いま」を味わい尽くす、という感覚を得ることが、坐禅をすることの一番の価値なのかなと感じた。

心が引き締まる所作の数々

坐禅といえば、和尚さんが「喝ーー!」と叫びながら弛んでいる人の肩を叩く。そんなイメージがあったが、実際にはそんなに荒々しいものではなかった。
「警策」は、坐禅中に心を引き締めたい人が、合掌を合図として自らお願いをして背中を打ってもらうものなのだとか。僕もお願いして、警策をいただいた。事前説明を聞いて軽く打つのかと油断していたら意外と痛かったのだが、背中がピリピリとしてその後は集中できた。それにしても、合掌で合図を送り、正対後にあらためて互いに合掌をして「与える」「いただく」関係を確認し、終わったあとにまた合掌をして感謝を表す、という所作が美しいなと感じた。


坐禅の後も、「三拝」(膝まずいて額を畳につけ手の平を耳まであげる最敬礼)を素早く行なったり、「茶礼(されい)」で茶椀やお菓子を手早く配ってくださったりと、とにかく無駄がなくきびきびとした所作には、清々しさを感じた。



たった一度の体験だけれども、禅の教えの一端を教えていただき、みずから体感できたことは大きな収穫だった。

平井住職が著書で書いておられた次の言葉がずっと気になっていたので…。

「ゼロ」から「一」に踏み出す場所。私は自分の寺の坐禅会をそんなふうに捉えています。
どんなに坐禅についての知識が豊富だろうと、やってみないことには「ゼロ」でしかありません。(略)大事なのは、ゼロでは判断のしようもないということ。「一」に踏み出してこそ、判断ができるということ。そのことを実感することではないでしょうか。(p.18)


「一」に踏み出した今だからこそ、谷中の全生庵に足繁く通うのは難しいとしても、自宅であるいは地元で坐禅のエッセンスを取り入れて「いま」を味わい尽くす時間をとっていこう。そう心に決めることができた。

関連リンク

*1:全生庵ページから事前予約が必要です。月1回開催されていますが最近は人気があるため翌月分はすぐいっぱいになるようです。

*2:臨済宗では「けいさく」、曹洞宗では「きょうさく」と呼ぶのだとか。Wikipedia解説より

*3:当日読んだお経はこちら(テキスト)から。一部は動画もあるそうです

【質問】あなたは「コミュニティマネージャー」ですか?

「結局、コミュニティマネージャーってどんな人なんだろう……」

最近開催されたいくつかのイベントをきっかけに、コミュニティ関連本をむさぼるように読んで、そんなことを考えた。


(本棚にならぶコミュニティ関連本)

コミュニティマネージャーとは?

考えるようになった直接のきっかけは、7/28に開催された「コミュニティマネージャーミートアップ 2014夏」。

1月第4月曜に行われた「コミュニティマネジャー感謝の日」*1からちょうど半年後の7月28日に、こんな趣旨(↓)で企画されたイベントだ。

ソーシャルメディアの利用が急拡大する中で、組織やブランドのソーシャルメディアの運用を担う「コミュニティマネージャー」という役割が注目を集めています。また、ソーシャルメディアが普及する以前から存在する家族、同窓会、サークル、NPO、プロフェッショナル・グループ、ユーザーグループ、患者会、選挙キャンペーン、デモに集まる人々など、何らかの興味や所属、目的があって生まれるあらゆるグループを運営する方々も「コミュニティマネージャー」としての役割を担った方々です。

さまざまなコミュニティを運営している人同士の情報交換・交流の場として、有志の実行委員会が中心となり、「コミュニティマネージャー・ミートアップ」を開催いたします。 (Peatix:2014夏コミュニティマネージャー・ミートアップ 案内文 より)


行く気まんまんだったのに残念ながら参加できず、詳細なtogetterまとめや 友人のFacebook投稿 等で当日の様子の理解につとめた*2
screenshot
(resignerさん作、臨場感あふれる秀逸なまとめ。ありがたや!)


その後、イベント当日の振り返り会が開かれることを聞きつけ、図々しくも参加させてもらった(笑)。
勢いで、その翌週の「コミュマネのこれからを考える会」にも!!


で、直接・間接に話を聞き、自宅にあったコミュニティ関連本を再読するうちに、モヤモヤと感じていた疑問がはっきりと言葉になってきた。


“みながイメージする「コミュニティマネージャー」ってバラバラすぎ!”

コミュニティの類型・分類

イベント直前の 2014年6月に出版された『コミュニティマネージャーの仕事』には、「コミュニティの類型」として次のマトリックスが示されている。

主体×形態


同書は、図の第一象限「ブランドコミュニティ」を対象としている。なかでも、“ソーシャルメディア時代に、多くの企業が運営を始めているTwitterやFacebookなどのソーシャルメディア公式アカウントの運営主体者となる「コミュニティマネージャー」の仕事に焦点を当て……”と、潔く言い切っている。


企業においても、“ソーシャルメディア公式アカウント運営者”という意味で「コミュニティマネージャー(Community Manager)」という職種や肩書が増えてきており、徐々にこの役割は市民権を得てくるのだろう。

コミュニティマネージャーの仕事

コミュニティマネージャーの仕事



一方、僕自身は 企業内で社員向けQ&Aコミュニティの立上げ・運営を長く経験してきた。また、高校のクラス友人や、大学のサークル仲間、子どもの少年野球チーム父兄、勤め先での部署をまたいだ読書会、人間力を学ぶ読書会、趣味の音楽でつながっている仲間、町内会などなど、数多くの「コミュニティ」に参加しており、それぞれのコミュニティで、幹事や世話人、スタッフのような役割を担うことも多い。


これらのコミュニティでは、オンラインだけ、あるいは、オフライン(フェイス・トゥ・フェイス)だけのやりとりに特化することは少なく、両方を組み合わせたうえで、どうやってつながりを豊かにしていくか、が大切なこと。なので、上図の第一象限以外についての分類にはやや違和感をもってしまうのだ*3

拠りどころ×求めるもの

そんなことを考えながら、他のコミュニティ関連本を何冊か読んでいるうちに、2011年に発刊された『ソーシャルメディア進化論』にたどりついた。

ソーシャルメディア進化論

ソーシャルメディア進化論


同書では、企業が主催するブランドコミュティやファンコミュニティの運営を中心に語られているのだが、ここに出てくるソーシャルメディア(コミュニティ)の分類が個人的にはとてもしっくりきた。「拠りどころ」×「求めるもの」のマトリックスとして下図のように定義されている。


縦軸の「拠りどころ」とは、何でつながるのかを指す。趣味や想いなど特定の価値観(テーマ)でつながるのか、現実生活の交友関係などでつながるのか、ということだ。横軸の「求めるもの」とは、人々が集まる目的である。便利で有用な情報源を求めるのか、居心地や心の距離を縮めることを求めるのか、である。


こちらは、オンライン、オフラインなどのコミュニケーション手段によらずコミュニティを分類しているので、同窓会やサークル、職場コミュニティなども、マトリックス上のどこかにマッピングできる*4。僕には、この分類はしっくりきた。

あなたは「コミュニティマネージャー」ですか?

このエントリを読む人には、先ほどあげた同窓会やサークル、職場コミュニティなどで幹事や世話人的に関わっている人も多いにちがいない。誰かに「コミュニティマネージャー、やってね!」と依頼されたわけでも、自分から宣言したわけでもないのに、ついつい関わっているコミュニティ全体がうまく回るかが気になってしまう。その結果、「イベントやろう!」と提案してみたり、逆に、名簿をメンテしたり手順をまとめたりと黒子的な作業をかってでたり…。


「コミュニティマネージャー」という言葉は、単純に考えれば「コミュニティ」を「マネージする人」なわけで、もとの語感としては色んな種類のコミュニティの運営に携わる人、という意味でよいだろう。


最近では、前述したように「企業のソーシャルメディア公式アカウント運営者」(=狭義のコミュニティマネージャー?)の存在感が高まる機運がある。それ自体は歓迎したい動きなのだが、そうなればなるほど「コミュニティの運営にかかわる人全般」(=広義のコミュニティマネージャー)をうまく表現する言葉が欲しくなる。「コミュニティ」×「デザイナー、コーディネーター、ビルダー、ファシリテーター、幹事、黒子(笑) etc.」。なんだか、どれもちょっとずつ違う感じがするのだ…。


そんなわけで、コミュニティ運営に携わっているあなたに聞いてみたいのは次の2つの質問。

  • いま、「コミュニティマネージャー」と呼ばれていますか?
  • 今後、どんな肩書・役割で呼ばれたいですか?


僕自身は、「コミュニティ世話人」あたりが心地よいなと思っている。

関連情報

コミュニティ・マネージャーズ・コミュニティについて

Facebook上には「コミュニティ・マネージャーズ・コミュニティ(CMC)」というグループがあり、僕もメンバとして参加している。
https://www.facebook.com/groups/cmcjp/


本グループの設立趣旨について、現在明文化されているのは以下の文章。

ソーシャルメディアツールを活用して「コミュニティ」を運営する方にとって効果的なスキル、ツール、こつ、成功・失敗事例などを共有し、相互交流を通じて、それぞれの豊かなコミュニティ運営に役立てる場づくりを目指す有志により運営されているグループです。


先日のイベントやアフター会合の結果をうけて、この文言を見直す可能性も話し合っているところだが、もし現時点で、広義の「コミュニティマネージャー」に興味がある方がいらっしゃれば、ぜひお声かけのほどを。

関わるコミュニティを幸せにし、あなた自身が楽しくなる方法を一緒に考えましょう!

*1:2010年アメリカで提唱されて始まった「コミュニティマネージャー感謝の日」は、日本でも2013年1月から始まった。詳しくは、このムーブメントを日本へ持ち込んだ市川裕康さんのブログを!

*2:主催者のお一人 市川さんのブログ記事はとても参考になりました!

*3:オンラインもオフラインもコミュニケーション手段でありコミュニティそのものの類型ではない。また、企業内でも個人中心のコミュニティはあるのだ

*4:もちろん、情報収集と関係構築の両方を求めるため、象限をまたぐことはあるだろうけれど