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『人間性の心理学』/A.H.マズロー (2)心理学的健康とは?

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ちょっと間があいたが、『人間性の心理学』読書メモのつづき。

人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ

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今回のお題は「健康」。

マズローの定義する「健康」とは何か?

この本を読んでいると、やたらに「健康」という言葉に出くわす。
(心理学的健康、健康な人、健康な社会、満足による健康、幸福による健康、健康的攻撃性…)


本書にて「健康」がまとまって登場するのは「第5章 心理学理論における基本的欲求満足の役割」以降。最初に目に飛び込んできたのはこんな記述である。

他の条件が等しければ、安全で何かに所属しておりまた愛されている人は、安全で所属はしているが拒否され愛されていない人よりも、よりいっそう健康(道理にかなったいかなる定義をもってしても)であろう。そしてそれに加えて、尊敬と賞賛を得、それにより自尊心を高めるならば、その時その人はさらに健康な、自己実現する人であり、あるいは十全たる人間であろう。(p.102)

「いかなる定義をもってしても」と言われちゃうと、このお題自体が成立しなくなるのだが、もう少しあとまで読むと、マズローのいう「健康」はこんな要素で構成されているようだ。

  • 基本的欲求が満たされている
  • 自己実現に向けて解放されている
  • 内側からの本質的な成長傾向により発達している


なお、「健康な」とほぼ同義な表現として「好ましい」という言葉も使われている。

好ましい社会とは、その社会を構成する人間が、健康で自己を実現する人間となるべき最大の可能性を与える社会であるとはっきり定義できる。これはつまり、好ましい社会とは、好ましい人間関係を可能な限り多く育て、奨励し、評価し、創り出し、好ましくない人間関係を可能な限り創り出さないように制度的に整備されている社会であると言うことを意味する。また、前述した定義から推しはかるなら、好ましい社会とは心理学的に言えば健康な社会と同義であり、一方、好ましくない社会とは心理学的に病んだ社会ということになる。(p.391)


また、マズローは「健康」について、「ユーサイキア」という理想の姿を描いている。

近年私の楽しみは、すべての人が心理学的に健康であるような心理学的なユートピアの推論的な記述を少しずつまとめることである。それを「ユーサイキア」と私は呼んでいる。
 (中略)
この集団は(哲学的には)無政府主義的で道教的な集団ではあるが、愛情深い文化になるであろうこと、そしてそこでは人々(若い人々も)は、我々の経験したよりも多くの選択の自由をもち、また基本的欲求やメタ欲求は、我々の社会におけるよりもより尊重されるであろうということである。人々は、我々ほどには互いに妨げあうこともないであろうし、自分たちの意見や宗教や哲学や着る物、、食べ物、芸術、女性などについての好みを隣人に押し付けたりすることもないであろう。要するに、ユーサイキアの住人はより自由で、寛大で、基本的な欲求を満足させているであろうし(それが可能な時はいつでも)、私が述べようと試みたことのないある条件のもとでのみ欲求の満足を阻止されるであろうが、可能なところではどこででも人が自由な選択をするのを許すであろう。彼らは、我々よりもはるかに支配したり暴力的であったりすることは少ないであろうし、横柄であったり威圧的であることも少ないであろう。そのような条件のもとで、人間の本性の最も奥深い層が非常に容易に自らを明らかにするであろう。(p.427-428)

この「ユーサイキア」という世界は、マズローの妄想にちかいものに思える。それでも、こういう理想条件下の人間(たち)を思い描くことで、見えてくるものがあるにちがいない、という思考実験は興味深い。


この「健康」な世界に住んでいたら、僕らは何をしているだろうか。

『人間性の心理学』関連エントリ

http://d.hatena.ne.jp/hito-kan/20060819/1155984519
http://d.hatena.ne.jp/hito-kan/20060720/1153407348