月刊「致知」2012年12月号にて「私は創造者ではなく、探求者である」というフレーズを見つけ、とても興味を惹かれた。
サグラダ・ファミリア 主任彫刻家 外尾悦郎さん
言葉の主は、外尾悦郎(そとお・えつろう)さん。
アントニオ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリア教会の主任彫刻家として活動されている方だ。
サグラダ・ファミリアとは、スペインで 1882年に着工され、いまも工事が続けられているあの巨大な聖堂のこと。
(クレーンがあるおなじみの光景。一度はこの目で見ておきたい!*1 )
外尾さんは、このサグラダ・ファミリアに、1978年から 30年以上も彫刻家として参加しておられる。
ガウディが見ていた方向を
着工からすでに130年、ガウディが亡くなってから86年がたっている現在、この建築プロジェクトには詳細な設計図が残っているわけではない。では、何をもとにしているのかというと、ガウディの建築思想を想像する形で建設が進められているそうだ。
そのことを、外尾さんはこんな風に語っている。
ガウディを見るのではなく、ガウディが見ていた方向を見る。
見えないけれども本来あるべき答えを見つける、あるべきなのにないものを見つける。(略)新しいものを設置した時に、地元の人たちが、あぁ、これはなぜいままでなかったんだろうか、と感じるようなものをつくる
そんなこともあり、外尾さんはご自身の役割をこう表現されている。
いまのアーティストといわれる人たちと私が全く違うのは、私は創造者ではなく、探求者であるということです。
「創造者」ではなく「探求者」。
内面から湧きあがってくる芸術的センスではなく、見る・感じるなどの五感を駆使した探究的センスが必要だと理解した。
探求者として発見する
これって、芸術だけでなくビジネスの世界でも同じような気がする。
考えに考えて素晴らしいアイデアが天から突然降りてくる、なんて虫のいいことはそうあるわけではない。むしろ、市場やお客様、競合や自社をじっと観察して「あるべきなのにないもの」を発見する、というアプローチの方がよい結果が出るのではないだろうか。
探求者になりきって、自分の身の回りをよくよく見てみよう。
「あるべきなのにないもの」がないか。「なぜ今までこれはなかったんだ!」と周りの人たちが膝をうつものが隠れていないか。
そんなことを考えさせられる記事だった。
関連サイト
- La Sagrada Família(左上メニュー「OTHERS」からGoogle翻訳で日本語表示も可能)
- アントニ・ガウディ - Wikipedia