ヒト感!!

人生をハッピーにするヒト・モノ・コトバ、広めたい

対本宗訓さん

このエントリーをはてなブックマークに追加

イデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何物でもない

こう言ったのは、『アイデアのつくり方』の著者ジェームス・W・ヤング氏。
ユニークなもの、人をはっとさせるものには、常に斬新な「組み合わせ」が登場する。


その例にあげていいのかどうかちょっと自信がないが、僕が「僧医」という職業(肩書き?)を聞いたとき思ったのは「あ、新しい組み合わせ!」ということだった。


臨済宗佛通寺派の管長を務めた、対本宗訓(つしもと・そうくん)さんは、平成18年3月に帝京大学医学部を卒業して「僧医」への道を力強く進まれている。


▼現代の僧医をめざして
 http://www.sokun.net/


柳田邦男氏の『言葉の力、生きる力』では、対本さんが「僧医」を志した動機について以下のように書かれている。

http://www.sokun.net/soui.html

人間は身体と心の統合体だ。だが、現代の医学・医療は科学の方法論そのままに、人間のいのちの営みを見る目を、モノとして分析できる臓器、組織、細胞、遺伝子といった側面にばかり向けるようになり、精神生活、感情、宗教性といった側面には向けなくなった。痛み、苦しみ、不安にさいなまれる患者にとっては、医師に全幅の信頼感を持てなくなる。とくに治療法のなくなった末期がんの患者にとっては、これは重大な問題となる。

逆に、宗教者は心を見るけれど、身体を見る知識がない。僧侶の役割は生老病死の現場にあり、とりわけ死を前に苦しんでいる生きた人に安心を与えることこそ重要なはずだ。だが、対本師は、自分でその役割を果たそうとしても思うように出来ないことに気づいた。その壁は何かと考えると、医学知識の欠如だった。

〈身体の病気を診る医師と心や魂のケアをする僧侶、これら二つの立場が一人の人物の中に調和したかたちで臨床に取り組むことができれば、宗教と医療の新たな可能性が開けるのではないか〉
――対本師を医学生へと衝き動かした思想はそこにあった。


自らが理想とする世界を実現するために、今の自分に何を組み合わせるといいのか。そんな視点を忘れずにもちつづけたい。

参考

  • 致知」2006年7月号 p.40
    • 対本さんのインタビューが掲載されています。


2008/6/1追記:
 対本氏が管長をつとめられたのは、「天龍寺派」ではなく「佛通寺派」でした。記事を訂正しておきました。
 ご指摘ありがとうございました > 小僧子さん