読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ヒト感!!

人生をハッピーにしてくれるヒト・モノ・コトバを広めたい!

『愛するということ』に処方箋はない。能動的&生産的に生きるのみ!

本-読書会 感情・心理
このエントリーをはてなブックマークに追加

『愛するということ』×『君と会えたから……』
(『愛するということ』×『君と会えたから……』)


今月前半から、『愛するということ』(エーリッヒ・フロム 著)を読んでいた。

参加している人間塾読書会で、本書が12月の課題図書になっていたのがきっかけ。一年をふりかえるタイミングでよい本に出逢えた。

『愛するということ』を読んで

原著がニューヨークで出版されたのが1956年、日本語版は1959年に出版された。いま紀伊國屋書店から発行されているのは1991年の新訳版で、僕の手元にあるのは「第30刷」。なんとも歴史のある本である。

本書では、「愛」そのものと、「愛する」ことを分けて論じられている。

愛とは?

こんな記述がある。

愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。(p.76)


一人の他人だけを愛し、他の人に関心を払わないとしたら、それは「愛」ではなく、共生的愛着(あるいは自己中心主義が拡大されたもの)にすぎない、とフロム氏は言う。


一方、対象の種類によって、愛にもさまざまな種類がある、とも述べている。

  • 兄弟愛…あらゆる他人にたいする責任、配慮、尊重、理解(知)。その人の人生をより深いものにしたいという願望
  • 母性愛…子どもの生命と必要性にたいする無条件の肯定。「生を受けたことはすばらしい」といった感覚を子どもにあたえるような態度
  • 異性愛…他の人間と完全に融合したい、一つになりたいというつよい願望。自分の全人生を相手の人生に賭けようという決断の行為
  • 自己愛…自分自身を愛することと他人を愛することとは、不可分の関係にある。利己主義とは正反対(利己的な人は、自分を愛さなすぎる)
  • 神への愛…孤立を克服して合一を達成したいという欲求に由来。母親的な面、父親的な面があるが、成熟すると自分自身のなかにとりこみ神と1つになる。


本当の意味で「愛する」という能力をもつ人は、特定の対象だけではなく世界全体にたいして同じように関わるのだ。

愛するとは?

では、「愛する」能力とは何なのか。

愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。(p.190)


「相手の心にも愛が生まれるだろうという希望」という表現がいいなぁ、と感じた。
あくまでも「希望に自分をゆだねる」という点がポイントで、相手からの見返りを「期待する」のではない。


なお、愛する能力は生来のものではなく、習練によって身につく、というのがフロム氏の主張だ。
それも「生活のあらゆる場面において規律集中力忍耐の習練」を積まなければならない、とのこと。厳しい…。


では、どんなふうに習練していくのか。その姿勢については次のような記述がある。

愛の習練にあたって欠かすことのできない姿勢が一つある。(略)何かというと、それは能動性である。
先に述べたように、能動とはたんに「何かをする」ことではなく、内的能動、つまり自分の力を生産的に用いることである。愛は能動である。(p.190)

理にかなった信念の根底にあるのは生産性である*1。信念にしたがって生きるということは、生産的に生きることなのだ。(p.186)


本書を読む前、「愛する」という行為に対しては、優しいもの・甘美なもの・精神的なもののイメージがあった。だが、読了して読書会でも話し合った結果、いまでは厳しいもの・凛としたもの・行動そのものなのだと感じるようになった。


泡のように消えていく「愛している」という言葉だけでなく、何かを生み出す行為によって「愛するということ」は磨かれていく。


それが誰かに伝播し、さらに心豊かに増殖していけば最高だ。
そんな希望をもって、日常生活を送ること。これが一番の「習練」なのかもしれない。

同時に読んだ『君と会えたから……』から得たもの

読書会当日、会場に向かう道すがら、喜多川泰さんの小説『君と会えたから……』を一気に読んだ。

家を出る直前、偶然手にとったこの本が、フロム氏の『愛するということ』と妙にマッチしていたことに驚いた。


こちらは小説なので無粋な引用は避けるけれど、ストーリーのなかで「手紙」が大きな意味をもっている。考えてみれば、誰かを思って手紙を書くという行為は、とても能動的な行為であり、「愛する」ことの究極的な生産物でもある。


この2冊の読書体験によって、「手紙を書く」という行動を、愛する技術の習練として見直していくつもり。

まとめ

フロム氏は、第4章「愛の習練」の冒頭で以下のように書いている。

 今日、たいていの人は──したがって本書の読者の多くは──「あなた自身はどうしたらよいか」をしるした処方箋をもらうことを期待している。私たちが論じている問題でいえば、「どうしたら愛することができるか」を教えてもらうことを期待している。(略) そういう気持ちでこの最終章にのぞむ人は、きっとひどく失望するにちがいない
 愛することは個人的な経験であり、自分で経験する以外にそれを経験する方法はない。(p.160)

たはは… という身も蓋もない感じだが、それでも愛の技術の「前提条件」と「アプローチ」、そしてそれらの「習練」については本書で論じた、とのこと。要は、それらを助けとして「自分の足で登って」いけ、ということだ。


そんなわけで、最後に自分向けにまとめておこう。

  • 「愛」とは、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度
  • 「愛する」とは、見返りを求めない行動であり、相手の心に愛がうまれるだろうという希望に自分をゆだねること
  • 愛する能力を上げるには、生活のあらゆる場面で規律・集中力・忍耐を習練すること
  • 習練にあたっては、能動&生産を意識すること
  • 愛する技術の習練として、「手紙を書く」を見直していこう

2015年の最後に、本書に出逢い、「愛する」をテーマに対話&思考できたことに感謝!

*1:原文を読むと、ここは productivity ではなく productiveness となっていた。多産性、豊穣のような意味?