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全生庵で坐禅体験 〜「いま」を味わい尽くす〜

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以前から気になりつつも未体験だった坐禅。

先日『坐禅のすすめ』を読んでますます熱が高まり、著者・平井正修さんが住職をつとめておられる臨済宗・全生庵の「初心者坐禅会」に参加してきた*1




心がみるみる晴れる 坐禅のすすめ

心がみるみる晴れる 坐禅のすすめ


今回の「初心者坐禅会」には、40人弱の人が参加していた。僕のように一人で来ている人も多かったが、家族やカップル、友人グループで現れる人もいて、比率にすると半々くらいか。くつ下を脱ぎ、荷物を棚におき、貴重品だけをもってお堂に入る。みな、これから始まる体験に緊張している様子。早く着いた人から、座蒲が置いてある場所に座っていくのだが、せっかくなので空いていた最前列に座らせてもらった。


「初心者坐禅会」では、毎週開催されている「日曜坐禅会」とほぼ同じメニューを行うそうだ。
会の進め方を簡単に説明していただいた後、摩訶般若波羅蜜多心経など3つのお経を読経する。その後、坐り方や警策(けいさく)*2の受け方などの解説(通常はこの時間で住職講話が入る)、それから坐禅2回、読経、三拝、茶礼…とつづく。解説までは若い僧侶のかたにしていただき、平井住職は坐禅から登場された。


実際に坐禅を体験して感じたことを3つ記録しておこう。

坐禅を体験して感じたこと

声を出すことの気持ちよさ

坐禅前に3つ、坐禅後に2つのお経を唱えた。*3

当日お借りした資料に読みがな入りでお経が記載されており、木魚に合わせた規則正しいテンポで1字ずつ読み上げることもあって、初心者の僕にもすんなりと入っていけた。


こんなに連続して大きな声を出しつづけることは日常では少なくなっているため、読経している途中からだんだん気持ちよくなってきた。みなで同じ言葉を発している一体感、耳に入ってくるそれぞれの声や息づかい、お堂の空間にこだまする響き…。読経の終盤では、みなより少し低めに声を発して音の幅をつくったり、ちょっとしたハモリを楽しんだりする余裕も生れていた。


お経それぞれの意味を理解すればさらに素晴らしい時間になるのだろうけど、僕にとっては純粋に大きな声を出しつづけることが気持ちよい体験だった。

数息観で「いま」を味わう

坐禅の最中は、鼻から息をゆっくりゆっくりと吐いていく。その際に、「ひとーつーーーー」「ふたーーつーーーーー」と頭の中で唱えながら、ほそくながく息を吐き続けていく。数が10まできたらまた1に戻って、坐禅をしている間これをずっと繰返していくのだ。この呼吸法を、数息観(すそくかん)という。


坐禅中の心構えとして、過去におきたことを思い出してクヨクヨ悩まない、未来に起きるかもしれないことをあれこれと心配しない、「いま」「このとき」を感じることが大切だ、との解説を受けた。とはいっても、「考えないようにしよう!」と考えても、しないことを実践するのは難しい。そこで、この数息観によって、数を数え、息を細く長く吐くことに集中し、余計な考えが去来するのを防ぐのである。


実際、今回の坐禅中にも色んな想いが頭をよぎったが、息継ぎをし、次の数を念じ始めるときには数息観に集中するため、浮かんだ想いから離れることができた。この「いま」を味わい尽くす、という感覚を得ることが、坐禅をすることの一番の価値なのかなと感じた。

心が引き締まる所作の数々

坐禅といえば、和尚さんが「喝ーー!」と叫びながら弛んでいる人の肩を叩く。そんなイメージがあったが、実際にはそんなに荒々しいものではなかった。
「警策」は、坐禅中に心を引き締めたい人が、合掌を合図として自らお願いをして背中を打ってもらうものなのだとか。僕もお願いして、警策をいただいた。事前説明を聞いて軽く打つのかと油断していたら意外と痛かったのだが、背中がピリピリとしてその後は集中できた。それにしても、合掌で合図を送り、正対後にあらためて互いに合掌をして「与える」「いただく」関係を確認し、終わったあとにまた合掌をして感謝を表す、という所作が美しいなと感じた。


坐禅の後も、「三拝」(膝まずいて額を畳につけ手の平を耳まであげる最敬礼)を素早く行なったり、「茶礼(されい)」で茶椀やお菓子を手早く配ってくださったりと、とにかく無駄がなくきびきびとした所作には、清々しさを感じた。



たった一度の体験だけれども、禅の教えの一端を教えていただき、みずから体感できたことは大きな収穫だった。

平井住職が著書で書いておられた次の言葉がずっと気になっていたので…。

「ゼロ」から「一」に踏み出す場所。私は自分の寺の坐禅会をそんなふうに捉えています。
どんなに坐禅についての知識が豊富だろうと、やってみないことには「ゼロ」でしかありません。(略)大事なのは、ゼロでは判断のしようもないということ。「一」に踏み出してこそ、判断ができるということ。そのことを実感することではないでしょうか。(p.18)


「一」に踏み出した今だからこそ、谷中の全生庵に足繁く通うのは難しいとしても、自宅であるいは地元で坐禅のエッセンスを取り入れて「いま」を味わい尽くす時間をとっていこう。そう心に決めることができた。

関連リンク

*1:全生庵ページから事前予約が必要です。月1回開催されていますが最近は人気があるため翌月分はすぐいっぱいになるようです。

*2:臨済宗では「けいさく」、曹洞宗では「きょうさく」と呼ぶのだとか。Wikipedia解説より

*3:当日読んだお経はこちら(テキスト)から。一部は動画もあるそうです