最近読んだ本で「稲むらの火」という話を知った。
その本『「人口減少」で日本は繁栄する』ではこんな風に紹介されている。(p.196)
2005年1月、ジャカルタでの被災国支援緊急首脳会議の席で、日本の小泉首相はシンガポールのリー・シェンロン首相から「『稲むらの火』という話は本当ですか」と聞かれた。
「稲むらの火」とは、今から150年ほど前の1854年(安政元年)、安政南海地震が起きた時の逸話である。
現在の和歌山県広川町に住む地元の庄屋、浜口梧陵という人は地震の直後、海岸から沖まで波が引いてゆくのを見て、津波が襲ってくるのを予感した。そこで彼は村人に知らせるために、せっかく刈り取った「稲むら」(稲束などを積み重ねたもの)に火をつけた。村人は、庄屋さんの家が家事だと思って高台まで駆け上がってきたので、多くの人の命が救われたという話である。
この「稲むらの火」は小泉八雲によって英訳され、海外にも紹介されたが、昭和12年から22年まで、教科書(尋常科小学国語読本)に載っていた。だから日本のお年寄りの多くは知っている話だが、今の人はほとんど知らない。小泉首相も外務省の官僚たちも知らなかったらしい。シンガポールの首相は、ラフカディオ・ハーンで知っていた。
「へ〜、すごい話だ!」と感心してこのエントリを書くことにしたのだが、周辺を調べてみようと検索してみるとなんだかちょっと話が違う。
教科書に載っていたことは事実
以下のページに尋常小学校教科書のスキャン画像が紹介されており、当時の文面のまま読むことができる。
http://www.inamuranohi.jp/inamura/in0102.html
なかなか味わい深いのでまずはご覧あれ。
史実はちょっと違う
浜口梧陵氏は実在する人物*1であり、1854年に津波が襲ったのは事実なのだが、「稲むらの火」のストーリーとは少しシチュエーションが違う。
▼稲むらの火 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E3%82%80%E3%82%89%E3%81%AE%E7%81%AB
一般にもよく知られた話であるが、史実に基づいてはいるものの、実際とはかなり異なっている。儀兵衛が燃やしたのは稲の束ではなく、脱穀を終えた藁であった(津波の発生日が12月24日〈新暦換算〉で、真冬であることに注意)。また、儀兵衛が火を付けたのは津波を予知してではなく、津波が来襲してからであり、村人に安全な避難路を示すためであった。
ネット上には「浜口梧陵手記」も公開されており、これを読むと火をつけたのが津波が来てからだということもよくわかる。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/aiiku/goryosyuki.htm
是に於いて松火を焚き壮者十余人に之を持たしめ、田野の往路を下り、流屋の梁柱散乱の中を越え、行々助命者数名に遇えり。尚進まんとするに流材道を塞ぎ、歩行自由ならず。依って従者に退却を命じ、路傍の稲むらに火を放たしむるもの十余以て漂流者にその身を寄せ安全を得るの地を表示す。この計空しからず、之によりて万死に一生を得たる者少なからず。斯くて一本松に引き取りし頃轟然として激浪来たり。
もとは英語で書かれた物語
教科書に載った「稲むらの火」の作者は小学校教諭だった中井常蔵氏。
その作品のさらに元となったのは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)氏の "A Living God"で、浜口梧陵氏が活躍した安政南海地震から40年後の1896年に書かれたもの。
▼A Living God (written by Lafcadio Hearn)
http://www.inamuranohi.jp/english_b.html
http://www.inamuranohi.jp/livinggod/index.html
教える側の意識
上述した教科書には教師用もあり、そこには次のように記述されている。
http://www.inamuranohi.jp/inamura/kyoshiyo.html
苟も文学作品である以上、事実と多少の相違があるのはやむを得ないことである。即ち、安政元年11月に廣村を襲った津波は、何回も襲来し、しかも4月以来しばしば強震があり、村人を驚かしていたのであって、八雲の文のように、微弱な地震の後、一気に襲来した激しい津波ではなかった。
教科書になった時点で史実と異なることはみなに認識されていた、ということだ。
いづれにせよ、国語教材たるの面目は、ある事実の正確さにあるのではなく、むしろその表現にあるとこはいうをまたない。してみれば、八雲の麗筆を更に児童の理解に即して単純化し、これを教材とすることは、何の妥当をかくものではなく、却って儀兵衛の尊い精神を生かすゆえんとなるであろう。
「フィクション」であることを認めたうえで(さらには教師たちに認識させたうえで)、あえてこの物語を教材にとりあげる意義を説いている。なんだか潔い。(現代だったらこういう話をとりあげなさそうだなぁ)
-
-
- -
-
フィクションであるにもかかわらず、そのドラマティックなストーリーから当時の小学生に強く心に残った「稲むらの火」*2。「物語」のもつチカラというのは本当に大きい。
自分の伝えたい事柄を物語にすることを意識していこう。